2005年04月16日
「韓流シネマフェスティヴァル」に渦巻く熱狂を間近に見る
メディアを通して目にしてきた“韓流”という言葉、“流”という文字が示すとおり、一過性の“流行語”に過ぎないとはいえ、およそ今問題視されている日韓の政治情勢などとは無縁に、その言葉が日々大量消費される様がいやでも飛び込んでくるという状況は、個人的にはあまり楽観出来ないものの、それらはあくまでテレヴィや雑誌の中で繰り広げられる虚構だと思い込もうとしていた部分も大きかったのですが、本日朝から駆けつけるに到った「韓流シネマフェスティヴァル」において、その虚構は紛れも無い“現実”として、決して広くは無い劇場全体を包み込んでいました。いや、この異常なまでの韓国ブームのおかげで日本で観る事が困難だった作品が上映され、現実にその恩恵を授かってきた私の立場からすれば、図らずもその中にキム・ギドクの未公開作品が2つも紛れ込んでいるこのような映画祭自体には感謝せねばならず、やはりここはこれまでの姿勢を改め、その“強い流れ”の只中へ身を投じるくらいの覚悟は必要だとも思われ、こうして土曜日の朝から歌舞伎町に足を運んだのです。
開場10分前に滑り込むと、午前9時過ぎという時間帯にも関わらず劇場内は予想以上の観客が。しかもその観客の9割は、テレヴィの中で「○○様〜!!」と黄土色の声を上げ、空港で感激のあまり泣き出したり、あまりのショックに卒倒したりしてきたあのご婦人方で占められているかのようでした。これに似た光景は、渋谷にあるル・シネマで時折かかる、“文化的な香り”を漂わせた作品周辺にやはり観られるのですが、これまでル・シネマで幾度かそのような光景を観てきた私でも、本日体験したあの異様な光景には、少なからぬ衝撃を受けました。ましてや、いくら韓国四天王の一人であるチャン・ドンゴンが主演しているとはいえ、キム・ギドク監督の作品であったという事実が、その驚きに拍車をかけたのです。毎週劇場に足を運んでいるとはいえ、頻度から言えば渋谷のミニシアターが多く、いきおい、あのような光景に出くわすこと自体がほとんど無かったのですから。と思って記憶を辿っていたら、過去にも一度だけありました。渋谷にしては普段から中高年の姿を目にし易いユーロ・スペースで後悔された『ルーヴル美術館の〜』を観ようとしたときです。ただしあの映画には、ル・シネマの場合とそう変わらないであろう原因が認められましたし、やはり今回のパターンとは違うものです。
ところで、劇場での彼女たちを観察してみると、多くは友人と連れ立って観に来ている普通の女性たちなのですが、何故か携帯電話を手に興奮した面持ちで話している人々が目に付き始め、その携帯には何が映っているだろうかと興味本位で覗き込むと、それらはチャン・ドンゴンの待ちうけ画面や実際に空港で撮ったであろうスナップショットの類で、つまり彼女たちは、全員とは言えないにしても、やはり私がこれまでテレヴィで目にしてきた女性たちに他ならなかったのだと改めて納得し、だからこそ、決して趣味が良いとは言えないチャン・ドンゴンやイ・ビョンホンのポートレイトが印刷されたキーホルダーをバッグに装着しているのを見ても決して溜息を漏らさず、彼女たちのおかげで私も本日『コースト・ガード』が観られるのだと自分に言い聞かせました。パンフレットや関連書籍の売り場には結構な人だかりもあり、私も後15歳年齢を重ねてもなお、あのように映画作品に熱狂できる人間でいたいものだと、遠い未来に思いをはせるくらいの冷静さは保てていたようです。
ちなみに、5月にももう一度、この映画祭に足を運びます。本日同様キム・ギドク作品ですが、四天王が出演していない『受取人不明』に、果たして本日と同じ光景を見ることが出来るのかどうか、それをみるのもまた一興です。
2005年04月16日 22:10 | 映画雑記