2004年10月30日

『2046』、ウォン・カーウァイはやはりウォン・カーウァイであること

2046初めて『2046』の話題に触れたのは、確か『花様年華』を観るよりもっと前だったような気がします。『花様年華』でトニー・レオンとマギー・チャンの逢瀬の場となったホテルが、2046号室であることが示されたあのシーンが、妙に忘れがたかったのを覚えています。様々なトラブルがあったにせよ、結局『2046』は出来上がり、こうして日本でも観る事が出来たわけですから、長らく待っていた私としてはそれを喜ばずにはいられません。それが近未来を描いたSFであろうが、『花様年華』のようなメロドラマであろうが、それは紛れも無いウォン・カーウァイの作品であって、それ以外の何物でもないのです。上映前、私は意識的にそう思うようにしました。
すでに公開から数日が経っていますが、初日に鑑賞した私と同様、(その理由はともかくとして)『2046』を待ち焦がれたであろう人々がその感想をインターネットに寄せているのを見るにつけ、その賛否両論ぶり(というより、多くは否定的でしたが)にほっと胸を撫で下ろしたりも。このサイトでも幾度か繰り返していることですが、ただ人を呼ぶことに特化された宣伝文句(そもそも宣伝とはそういうものですが)は決して鵜呑みにすべきではないという事実をまたもや再確認した次第です。これは宣伝等を批判しているというよりもっぱら観客側の問題、やはり観る映画は自分の判断基準で決めるほか無いという、私なりの主張に過ぎないのですが。
これまでミニシアターでしか公開されてこなかったウォン・カーウァイの作品が、大きな小屋や多くのシネコンでもかかっている様子からもわかるように、今回は、今まで全くウォン・カーウァイに興味がなかった人々が劇場に押し寄せるに足る大きな要因がありますから、意見が割れるのもまぁ予めわかっていたことではあります。作品にはそれに相応しい劇場があり、また、興行形態があってしかるべきだと思うのですが、今回のような“珍事”、今後のウォン・カーウァイ作品の国内における興行に悪しき影響を与えなければいいのですが…

ところで、すでに様々な場所で言及されていることではありますが、『2046』は、やはり60年代の香港を描いた『欲望の翼』(1990)や『花様年華』(2000)“以降”を描いた映画であることは間違いないでしょう。登場人物の名前や個々の関係性、職業、舞台等々(タイトルロールや文字列の挿入を指摘することも出来ます)を見れば、それは明らかです。ウィリアム・チョンやクリストファー・ドイルというスタッフにもそれは表れているといえるかもしれません。まずはその意味で、『2046』は、上記2作品を観た人間と観ていない人間をあからさまに振るいにかける映画だと思います。明らかに『欲望の翼』と『花様年華』を踏まえた記号(目配せ)が横溢していること、過去(の作品)に執着しつつ現在を生きなければならない宿命、これらはそのまま『2046』を物語る重要なファクターではないでしょうか。

さて、それでは『2046』とはどのような作品と言えるのか。最も、ここで『2046』の物語について言及しようというのではありません。端的に言って、その行為は無意味だと思うからです。よって、ここでは本作と前2作とを隔てている部分に着目しつつ、そこから見えてくるものについてを何点か指摘するにとどめます。
最も注目すべき相違点、それは『2046』がシネマスコープで撮られているということです。『2046』はウォン・カーウァイ作品にあって初めてシネマスコープ(1:2.35)で撮られた作品なのですが、美学的な要請なのか、それとも物語的要請がシネマスコープへと向かわしめたのか、正直に言えばわかりません。しかし、スコープサイズとは、作品そのものを決定づけるという点で、やはり決して見逃してはならないのです。

例えば、『2046』の画面を思い起こせば、カメラと撮られるべき対象との間に、例えば壁、ガラス、ドア、ビロードのカーテン等の夾雑物があり、それらが画面の多くを占めていました。いきおい、人物は画面の右、もしくは左に追いやられてしまうのです。この事実は『花様年華』においても見受けられたと思いますが、ヨーピアンヴィスタで撮られた『花様年華』に比べ、やはりシネマスコープの『2046』にいたっては、ほとんど凶暴といっていい程であったと指摘しておきたいと思います。
また、主要な舞台となるホテルの屋上を捉えたショットが数回リフレインされるのですが、やはり画面の多くはホテルのネオン看板が占め、左の方に人物が配されています。この場面が感動的なのは、そこにある空の色が、時になんともいえないグレーだったり、美しいブルーだったりと微妙に変化していたことです。人物の動きと空の色が奇妙にシンクロしているかのような、しかしそれが作為的というよりは、限りなく透明な印象を齎す、そんな気がしました。
あるいは、女性の歩く姿。とにかく美しい女性が揃いも揃った『2046』においては、女性が歩くシーンがとりわけ記憶に残っています。時にスローモーションで撮られたこれらのシーン、しかも、それはちょうど腰を中心に据えられた構図が多く、チャン・ツイイーやコン・リーの腰の線がいまだ頭から離れないほど。シネマスコープであのような構図に出会うとは思っていなかったので、それにはただ感動しました。

ところで、『2046』は多くの楽曲が使用されていますが、個々の音楽がどうというより、その音楽と画面の関係性について考えてみたりもしました。つまり、これは『花様年華』の時も同様だったと思うのですが、音楽が画面を明らかに干渉しているシーンが何度か見受けられたのです。ここでいう干渉とは、決して邪魔しているという意味ではなく、画面を音楽が制御しているといいますか、例えばしかるべき音楽がなり始めた時、しかるべき画面が始まるという、こう書いてみるとなんとも間抜けで当たり前のような話ですが、音楽の優位みたいなものを感じたのです。その時音楽は、決してbackgroundにではなく、foregroundとしてそこにあったのだと。

それにしても、『2046』におけるキャストの途方も無い魅力にはため息が出ました。とりわけ、トニー・レオンの美しさは、どうもただごととは思えません。特に、机に向かって煙草の煙を燻らせながら文章を書く場面。あの表情、顔に落ちる影、指、そして煙までもが美しく、それは彼が演じる役柄の残酷さともあいまって、まさしく“残酷な美”と言うべき凄みをスクリーンに放射していました。女優陣もまた、総じて輝いていたと思います。チャン・ツイイーはもはや言うまでも無いと思いますが、私が印象的だったのはそれほど多く出演しなかったコン・リーです。彼女とトニー・レオンとの別れの場面、あの匂い立つようなキスシーンのエロティックさと激しさ。唇が離れた直後の表情。もう一度見たいシーンの一つです。

結局、『2046』は、これまでのウォン・カーウァイ作品といささかも変らなかったのかもしれません。断片と統合をひたすら繰り返す映画作家であるウォン・カーウァイは、全ての人間の思惑の遥か彼方で、やはりウォン・カーウァイでしかない。しかしながら一つだけ付け加えれば、『2046』には、ウォン・カーウァイの混乱と苦悩がそのまま全編に染み込んでいると言う意味で、永遠に未完成のような気がしてなりません。他でもないこの印象だけが、これまでの作品とは大きく異なっているのです。

2004年10月30日 08:20 | 邦題:な行
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Comments

あ、サイトでなくってmixi日記なんです。
イカ監督経由でまいりました。
よろしくお願いします。


Posted by: shima : 2004年11月20日 15:25

>shimaさま

始めまして。コメントありがとうございます。
よろしければ、サイトのURLをお教えいただけますか?
アドレスしかご記入されていないようでしたので。
いつでも遊びにきてください。


Posted by: [M] : 2004年11月19日 15:18

初めまして。
私も日記に「2046」の感想(それはもう見事に小学生夏休み宿題なみのものですが)を書いたので、興味深く感心しながら読ませていただきました。
役者さんたちそれぞれが魅惑的でいちいちためいき出ちゃいました。「腰の線」いいですよねぇ(笑)
他の映画のレビュウも気になるのでまたお邪魔させていただきます。


Posted by: shima : 2004年11月19日 13:20

最近は「2046」の感想をBLOGで追っていくのが、
日々のネットライフになっているような感じです(苦笑)
賛否(否の方が多いですが)、これだけの数の感想がネット上にあがるなんて、全国公開の宣伝の功罪効果です。これをきっかけに他のカーウァイ作品を観てみてようと思う人が増えればいいのですが…

シネマスコープ・サイズによる構図の極端さ、ストーリーを語るのでなければ、やはりそこを語りたいですよね。役者だけでなく、画面も音楽も、すべてが語っている!
そのあまりにもカーウァイらしいたたずまい。
そして、たぶん永遠に終われない映画であることも。

TBありがとうございました!
こちらからもさせていただきますね。


Posted by: tzucca : 2004年10月31日 22:31

>samurai7さま

はじめまして。
確かにチャン・イーモウの場合とは全く違いますね。次はとうとうハリウッドですか。私見ですが、それほど劇的な変化は無いんじゃないかと思うんですが…いずれにせよ観てみたいとは思います。


Posted by: [M] : 2004年10月30日 13:37

確かにウォン・カーウァイ作品に他ならない印象ですよね。チャン・イーモウの「HERO」がこれまでのミニシアター作品から超娯楽作品に移行していったのとはちょっと違う感じがしました。次の新作はニコールキッドマン主演でハリウッド映画のようですし、どのようになるのでしょうかね


Posted by: samurai7 : 2004年10月30日 12:50
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