2006年12月30日

2006年ベスト&ワースト10

当ブログを開設して約2年8ヶ月、年間ベスト&ワーストの発表は初めてになります。
これまで執拗に避けてきたこの年中行事を、今何故やろうと思い立ったのかと聞かれてしまうと、なんとも答えに窮してしまうのですが、一言で言えば、今後映画を観ていく上で、それもまた必要だろうと思われたということです。
新旧問わず、今年劇場(あるいはそれに順ずる場所)で鑑賞した150本から20本を順不同で選出しました。厳密に10本ずつという選出がかなり困難だったことは言うまでもありませんが、頭を悩ませて選んだこのベスト&ワーストには、私個人が紛れもなく出ていると思われます。
それぞれを選出した理由を書くと膨大な文章になりかねないので、それは割愛します。全ては結果のみ。ただし、このゲームのルール上、ベストに入れられなかった傑作も5本は下らないとだけ記しておきます。

■2006年ベスト10
秋津温泉(吉田喜重)
白い足(ジャン・グレミヨン)
メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬(トミー・リー・ジョーンズ)
セブンス コンチネント(ミヒャエル・ハネケ)
蘇州の猫(内田雅章)
楽日(蔡明亮)
早春(イエジー・スコリモフスキ)
鉄西区(王兵)
父親たちの星条旗(クリント・イーストウッド)
泣く女(ジャック・ドワイヨン)

■2006年ワースト10
ビッグ・スウィンドル!(チェ・ドンフン)
カミュなんて知らない(柳町光男)
THE有頂天ホテル(三谷幸喜)
美しき野獣(キム・ソンス)
イーオン・フラックス(カリン・クサマ)
嫌われ松子の一生(中島哲也)
ブロークバック・マウンテン(アン・リー)
ジョルジュ・バタイユ ママン(クリストフ・オノレ)
ワールド・トレード・センター(オリバー・ストーン)
パビリオン山椒魚(冨永昌敬)

それではみなさん、良いお年を。
明日の大晦日は、買い物と大掃除とカウントダウンガブ飲みで締めくくります。

2006年12月25日

ジャック・ベッケル生誕百年記念国際シンポジウム〜ベッケルの偉大さを知る

去る12/22、アテネフランセ文化センターにて「ジャック・ベッケル生誕百年記念国際シンポジウム」が催されました。一日限りのこの画期的で野心的なシンポジウムのために内外から映画批評家や映画作家4人が召集され、またこのためにわざわざゴーモン社から『怪盗ルパン』の35mmカラーフィルムが取り寄せられたのですから、このシンポジウムの映画史的な価値もお分かりいただけるというものでしょう。

まずは参考上映としてベッケル1957年の作品『怪盗ルパン』が上映され、続いて映画狂人氏の基調講演、その後、日本から青山真治氏、フランスからジャン=ピエール・リモザン氏、アメリカからクリス・フジワラ氏によるシンポジウム、という感じで進行していきました。

下記は映画狂人氏による基調講演を聞きつつとったメモになります。抜け落ちている箇所もあるかとは思いますが、覚書として記しておきたいと思います。

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■1960年に54歳で他界したジャック・ベッケルは、90歳を超えたマノエル・ド・オリヴェイラや、80歳を超えたエリック・ロメール、アラン・レネにおける旺盛な作家活動に比べてみた場合、いかにも早すぎる死を迎えたと言える。つまりベッケルは、エルンスト・ルビッチ、フランソワ・トリュフォー、溝口健二とともに夭折の作家なのである。

■しかしながらベッケルは、生涯で13本の長編しか撮っておらず、その寡作ぶりはどこかロバート・ロッセンを思わせぬでもないが、ベッケルの映画史的な位置は今なお曖昧だと言わざるを得ない。

■『穴』や『肉体の冠』の興行的な失敗。とりわけ『肉体の冠』に関してただ一人、リンゼイ・アンダーソンが「カイエ・ドゥ・シネマ」に対する手紙という形で擁護した以外は、フランスの批評家たちの無理解はひどいものだった。ジャック・ドニオル・ヴァルクローズやアンドレ・バザンは『怪盗ルパン』に対し激しく非難をあびせ、トリュフォーですらこれを評価しなかった程である。

■蓮實氏が初めてベッケルに関する批評を読んだのは「カイエ・ドゥ・シネマ」においてエリック・ロメールが書いた記事だったが、それを読んで以来、批評家としてのロメールをいささかも評価していない。

■ゴダールも『リア王』においてベッケルの写真を入れ忘れたし、ドゥルーズも「シネマ1・2」を通して一切ベッケルには言及していない。つまり、これまで誰一人として無条件でベッケルを擁護した人間はいなかったのだ。

■世界には、とても同じ人間が撮ったとは思えない映画というものがあり、例えばホークスであれば『モンキービジネス』と『ピラミッド』がそれに当たるが、ベッケルの『肉体の冠』と『アラブの盗賊』もまたそのように言えるだろうが、若き批評家時代のフランソワ・トリュフォーだけがこの2作をともに擁護したことは重要である。

■一作ごとに様々な題材を扱うと思われているベッケルだが、その題材の多様さにもかかわらず、常に一つの構造とタッチが作品を貫いているのがわかる。(ここで彼の10本のフィルムからある共通要素のみが編集されたヴィデオが上映される)

■ベッケルの映画における共通した要素、それは平手打ちである。彼の全ての作品には、必ず平手打ちというファクターが存在している。唯一『エストラパード街』にのみ、シーンとしての平手打ちは無いのだが、劇中で「お前、平手打ちをくらいたいのか?」という台詞があったように、そこでは平手打ちをあえて見せずにいるだけだし、『最後の切り札』においても、それは同様である。

■平手打ちとは最も身近な暴力であり、あらゆる登場人物に平等に与えられる身振りでもあるが、ベッケル作品における平手打ちは、その背後に必ず権力関係が存在し、そして、平手打ちされるものは、まるでそれが儀式であるかのように、当然のものとしてそれを受け入れるのだ。

■『現金に手を出すな』では確かに銃の撃ち合いが見られるのだが、真にベッケル的な暴力とは、空間的に至近距離で繰り出される、つまり、相手に手が届く距離で繰り出される平手打ちであるし、その距離感覚は言い換えれば接吻できる距離に等しく、『モンパルナスの灯』に見られるがごとく、平手打ちという行為そのものにエロチシズムが漂うのもそのせいだろう。

■『肉体の冠』において、シモーヌ・シニョレは密告したかどで平手打ちされるのではなく、密告した男自身によって平手打ちされ、一言「最低の男だわ」と呟く。この“degueulasse”というフランス語は、いうまでも無く『勝手にしやがれ』のラストで、まさに密告者であるジーン・セバーグに対してジャン=ポール・ベルモントが呟く一言に重なる。つまりゴダールは、ジャック・ベッケルに多くを負っているのだと言えるだろう。

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今回は通訳付きということで、予め用意された原稿を読むという形での講演でしたが、やはりというべきかキーワードは平手打ちでした。途中で上映された10分程のヴィデオは、ベッケル的平手打ちのオンパレードといったもので、それを観ているだけでもかなり興味深いものでした。中でも印象的だったのは、『現金に手を出すな』におけるジャン・ギャバンの豪快極まりない平手打ちです。目の前に居る男も女も容赦なく平手打ちしていく様は、当時も今も、強烈なインパクトがあります。まったく理不尽な、と思わずにはいられないあの平手打ちの有無を言わさぬ圧倒的な力を改めて体感出来たことは、何よりの収穫だったと思います。近年では『その男狂暴につき』、最近では『ある朝スウプは』や『鼻唄泥棒』における狂暴な平手打ちを除いて、印象に残る平手打ちがないかもしれません。

さて、その後に行われたシンポジウムですが、3人ともあまりに熱いベッケル論を繰り広げ、時間が押しまくるほど。ジャン=ピエール・リモザン氏によるベッケル論では、そのリアリズム的側面を強調しつつ、ベッケルは真に60年代以降の作家なのだとの結論に、私は何度も肯いてしまいました。また、青山真治氏によるベッケル論では、ベッケル作品における鏡の使い方に注目するとともに、クローズアップにおける切り替えしがいかに重視されているのかを説きつつ、『ビッグ・バッド・ママ』や『NOVO』をベッケル的だと結論するというややアクロバティックな論考で大変興味深く、批評家であるクリス・フジワラ氏にいたっては、現在映画狂人氏が執筆中だというジャック・ベッケル論におけるがごとく、いかにベッケル作品から秘密(シンボリックなもの、あるいは謎めいたもの)が周到に排除されているかということを、そして“扉とベッケル”という視点に関してフリッツ・ラングを引き合いに出すという、映画史的知性に裏打ちされた鋭い論考を展開し、驚かされました。
彼らの話からは、今自分が全面的にジャック・ベッケルを擁護するのだという強い決意が伺われ、このシンポジウムを企画した映画狂人氏を中心とした確かな連帯が生まれていく現場を目撃したような感じがしました。このシンポジウムをきっかけとして、ジャック・ベッケル特集などが組まれたらそれはそれで素晴らしいことですが、とりあえず私としては、今観られるだけのベッケル作品をヴィデオでもdvdでもいいから早急に観直した上で、『怪盗ルパン』はやっぱり傑作に違いないということを確信したいと思います。実際、『怪盗ルパン』の面白さというか痛快極まるさまは、字幕の不在などを軽く忘れさせてくれたのですから。

ともあれ、会社を休んで駆けつけた価値は充分にあったと言えます。
私も微力ながら、年末から年始にかけて友人たちにジャック・ベッケルという名前を連呼しておこうと思います。

2006年12月22日

ベッケルを待ちながら

ただいま、御茶ノ水の某ネットカフェにて時間をつぶしています。わざわざ会社を休んでおいて“時間をつぶす”なんて、不毛といえば不毛なのですが、2時に整理券を配って4時に開場というシステムなのでいたし方ありません。無論、ジャック・ベッケルシンポの話。

前回来た時(KIYOSHI KUROSAWA EARLY DAYS)の教訓を生かして、約1時間前に到着した時にはまだ10数人の観客しかいませんでした。まぁ今日は普通に平日ですし、この時間からアテネフランセに並ぶような人は、学生か、私のようなもの好き社会人か、あるいはそのどちらでもないシネフィルしかいないのでしょう。最終的には間違いなく満席になるかとは思いますが。

さて、ジャック・ベッケル生誕百年などと聞いても、私などは今日始めて劇場体験をするくらいですし、もちろんヴィデオで何本かは観ていますが、ほとんど知られざる監督といってもいいくらいです。
初めて観たのは確か学生のとき、『現金に手を出すな』だったと思います。これは1954年の作品ですが、この2年後にキューブリックが『現金に体を張れ』という作品も撮っていて、その2作品を同じ時期に観たような気がします。当時は“現金”を“ゲンキン”と読むのだと思っていましたが、どうやら“ゲンナマ”なのだだということを誰かから聞かされたような…。“気狂い”を“キグルイ”でなく“キチガイ”と読む、みたいな。
まぁそんなことはどーでもいいのですが、当時の私にとってはどちらの“ゲンナマ”作品も大いに楽しめた気がします。

今日観るのは1957年の『怪盗ルパン』。まったく関係のない話ですが、ここ10日間ほど、seamoの「ルパン・ザ・ファイヤー」という曲が頭から離れず、会社でも仕事中に超ヘヴィーローテーションで聴いていることもあって、なんだかルパンづいているので、今日の作品もきっと楽しめるでしょう。

とか馬鹿なことを書いていますが、そろそろこの煙が蔓延した最低の空間から抜け出すとします。
シンポジウムの模様は、いずれ別の機会に書くでしょう。

2006年12月21日

せめて年内は平穏に過ごしたい

今週は週末に映画を観られないだろうから、せめて平日にシネマヴェーラにでも通おうと目論んでいたのに、やはり無理みたいです。まぁ明日は休暇をとっているので最低でも1本は観られるのですが。

そうそう、先日オークションで幸運にもニコラス・レイの処女作『夜の人々』のレンタル落ちヴィデオを発見、普通であれば100〜500円くらいで出品されているはずが、出品者もなかなかしたたかで、こちらの足元(!)をみた価格を設定しており、一瞬考えるも、これで誰かに先を越された日には数日間立ち直れないだろうと思いなおし、結局購入してしまいました。5900円なり。本作はTSUTAYA渋谷にも無いし(新宿も恐らく)、滅多に上映されないので観る機会がなかったため、とりあえずヴィデオでも何でも観ておきたかったのです。まだ観ていないので画質は確認していませんが、まぁ大丈夫でしょう。

明日、やっとキャッシュカードとクレジットカードが復活するので、これからまた買い物三昧とまいります。まずはなくしてしまった財布ですね。もうポケットに金を入れるのに疲れました。だってやんちゃボーズみたいじゃないですか。後は洋服とかヴィデオカメラとか、その辺も一気に買っちゃいましょう。

ここ数日、集中的にあることに取り組んでいて、おちおちブログも更新できませんが、映画さえ観続けることが出来るなら、これくらいのペースで細々とブログを続けるのもいいかな、などと思い始めています。今、まるで映画の文章を書く気がしませんが、この忙しさを乗り切れば、またそんな気にもなるんでしょうかね。神のみぞ知る、いや、誰も知らなくていいです。

仕事中なので、サクッと終ります。

2006年12月18日

借金しても映画

財布をなくしても、その時しか観られない映画には金を借りてでも観に行くと言うのが私の信条なので、先週はいつもどおり4本の映画を鑑賞。土曜日には日仏学院にてジャック・ドワイヨンの『泣く女』、そしてフィリップ・ガレルの『処女の寝台』と『救助の接吻』。日曜日には渋谷ピカデリーにて『硫黄島からの手紙』を。

日仏学院で観た3本は、いずれも日本語字幕なし(『救助の接吻』のみ英語字幕あり)という状態でしたが、貴重なフィルムであればそれも止む無し。いや、それどころか、とりわけ『泣く女』などは、台詞の大半を理解できなかったにもかかわらず、それを傑作と呼ぶことにいかなるためらいも無い作品で、ガレルの2本にしても、改めて劇場でガレルを観ることの“快感と苦痛”を感じることが出来たという意味ではやはり大変稀有な体験でもあり、土曜日をまるまる潰すだけの価値は充分にあったと確信しています。

『硫黄島からの手紙』は、“本当に良く出来た日本映画”だと錯覚させるもので、しかし画面にはイーストウッド&トム・スターンによる深い闇が幾度も出てくるし、ほとんど涙しそうになるほどの馬のエピソードもあったりして、やはりこれはアメリカ映画なんだとも思わせるのですが、とにかくあっという間に終ってしまった印象です。作品としての印象は、とても連続して撮ったとは思えないほどに、『父親たちの星条旗』とは異なるものでしたが、どちらが良いとか悪いとかではなく、この2本によって、あらためてイーストウッドの凄さを思い知ればそれでいいのだという風に、今は思っています。
一言加えておけば、『硫黄島からの手紙』で最も輝いていたのはバロン西を演じる伊原剛志でした。もちろん、渡辺謙だって二宮和也だって悪くはなかったのですが、本作において2度ほど泣かせられた場面は、ともに伊原剛志と馬とが画面に治まっているシーンだったということが私にとっては重要でした。もしかすると彼も、今度ハリウッドに起用されるようになるかもしれません。

さて、今年もあと2週間となりましたが、個人的に抱えてることが多く、なかなか文章をかけそうにありません。その代わりにといってはアレですが、今年は、年間ベスト&ワーストというのを選んでみようかと思います。昨年、何人かの方からも控えめにリクエストされていたこともありますし、今年は多くのいい映画に出合ったということもありますが、ここ一つ、私なりのルールに則った形で、ベスト&ワーストを選出できればと。もちろん、それまでにも余裕があれば、たまっているレビューを書いていきたいと思います。

今週は『カジノ・ロワイヤル』とか『イカとクジラ』とか『ありがとう』とかそのあたりを観たいですね。

2006年12月14日

茫然自失

やはり今週も文章はかけそうにないほど、あれやこれやで結構忙しいのですが、そんなときに限ってさらに悲劇が。

財 布 紛 失 。

まぁいつものように酔っ払ってなくしたわけですが(少なく見積もっても、この10年で4回は…)、とりわけキャッシュカードの無い生活ほどつらいものはないわけで、またぞろ上司に金を借りる始末。通帳など稿いう時にしか必要ではないので、それを探すだけでも大変です(未だ見つかっておらず)。

とりあえず被害はないみたいですけど(といっても銀行の残高を見ていないので、あくまで推測)、よりによってこんな時期に……

皆様も年末は特にご注意ください。
飲みすぎと財布の紛失に。

2006年12月11日

「冬宴@京橋」でいくつかの発見をする

自分の服を大量にオークションに出品したり、あるいは友人からイラストを頼まれたりで個人的にいろいろ忙しくて、先週はとてもブログを更新できる状況ではありませんでしたが、週末には7本と半分の映画を観ました。

まずは9日より始まった「ヌーヴェルヴァーグはもうすぐ50歳になる」という特集上映からゴダールの『恋人のいる時間』とロメールの『モンソーのパン屋の女の子』『シュザンヌの生き方』を。ゴダールのほうは途中から入りましたので、半分のみ。すでに観ていた作品ですが、フィルムで観るとやはりまるで違います。後半で産婦人科の医者とマーシャ・メリルが会話するシークエンスにおける切り替えしが印象的で、会話自体がほとんど要領を得ないばかりか、向き合って話しているはずの2人の視線が、一向にあっている感じがしないという。とりわけ、どこまでがアドリブだかわかりませんが、あの時の医者の表情が大変素晴らしいと思いました。思考しつつ話しているという、あの表情が。
ロメールのほうは未見でしたが、冒頭のテロップで“レ・フィルム・デュ・ロザンジュ”という文字を見つけて嬉しくなり、ほとんど理由もなくこれは絶対に面白いに違いないと確信しましたが、結果的にはその通りで、2本とも小品ながら楽しませてくれました。なかなかフィルムで観られない作品ですから、未見の方は是非。『モンソーのパン屋の女の子』のせいか、鑑賞後は無性に甘いものが食べたくなったりしました。

翌日曜日も、はじめはやはり、今日はシャブロルだ!と意気込んでいたのですが、朋友・[R]氏のメールによってその日が「美学校傑作選 冬宴@京橋」の上映日だったことを思い出し、これはまずい、前回の上映会にも行けなかったし、やはりこちらに行かねばなるまいということで、急遽予定を変更しようとしたとき、あ、そういえば山下監督の『中学生日記』も今日だったはずだ、という風に頭が冴えてきたのですが、時間は限られているし、ここは一つ、まだ見ぬ才能に賭けようという思いが強くなってきて、結局[R]氏と待ち合わせ、京橋に向かったのでした。
鑑賞したのは6本。夜には既に予定が入っていたので、最後のプログラムを観る事が出来なかったのは悔やまれますが、その6本にもなかなか刺激的な作品が含まれていて、収穫はあったと思っています。

「冬宴@京橋」の中でも特に興味深かった作品は遠山智子監督の『アカイヒト』で、8mmで撮られたその画面には、なんだか禍々しさすら漂っていて、上映後、[R]氏とともに、あまり日常的な会話で使うことのない“画面の強度”なる言葉をも呟きあってしまうほど。あんな映画をいったいどういう発想から撮ったのか、監督自身の言葉を是非聞いてみたかったです。この映画一作で、遠山智子監督が私にとっての要注意人物となりました。過去作品も是非観てみたいと、アンケートに書いておくんだったと後悔。これは主催の一人であるeigahitokwさんに個人的にお伝えすることにしましょう。

さて、今週末はフィリップ・ガレル2本と『硫黄島からの手紙』をなんとしても観ておきたいなと思っています。たまりにたまってまるで消化できていないフィルメックス作品に関する文章や短評についても、まだ記憶がかろうじて残っている今週中にはなんとか。

2006年12月04日

師走のある日常

月曜日の朝っぱらから、原宿駅のホームで中年男性2人による喧嘩を間近で目撃してしまった[M]です。今朝などは師走らしい、冷たく澄み切った空気でしたが、彼らの周りの温度だけは、確実に熱く濁ったものだったでしょう。それを山手線の車内から鑑賞(!)している間でちょっとだけ関心してしまったのは、喧嘩を売られたほう(先に殴りかかられたほう)の、どちらかというとがっちりとした大男のほうが、まるで刑事ドラマにおいて、刑事が容赦なく犯人を殴り倒す時の様にそっくりだったこと。その大男はトレンチコートを着ていたので、なおさらでした。さながら、「あぶない刑事」における“タカ”といったところ。喧嘩を売ったほうは小男という風貌だったので、やはり犯人役ですかね。程なく彼らは善意の通行人らによって取り押さえられましたが、もう一つだなぁという感情しか涌いてこず、どうせやるなら、アメリカ映画的な“酒場の殴り合い”のように、そこら中にあるものを全部投げあったりして、原宿駅を混乱の極みに陥れるくらいしておけば、翌日の「スーパーモーニング」くらいで取上げられた可能性もあったでしょうに。

さて、そんな話はどうでもいいので、とりあえずは映画の話。先週は3本の映画を鑑賞しました。
まずは土曜日にシアターNハシゴということで『ホステル』と『HAZARD』を。そして昨日はこれが自分では最後のチャンスだった2度目の『父親たちの星条旗』を観てきました。3本とも、もう公開から大分時間が経っているせいか客はあまりおらず、おかげでゆったりと鑑賞出来た次第。

昨日は生まれて初めて靴を修理に出してきました。
渋谷にある「ユニオンワークス」という英国靴の販売と靴全般の修理を請け負っている店というか会社ですが、この場所が大層わかりづらく、家からも近いし大丈夫だろうと高を括っていた私は案の定迷ってしまうことに。公式サイトにある地図はまるで正確さを欠いており、こちらはブーツを5足も持っているのであまり歩き回りたくなかったのですが、何とか店を突き止め、無事修理に出せたので一安心です。
私は気に入ったモノに関する物もちは大変良い方で、それらのブーツは、いずれも私が20代前半に購入してからかなりヘヴィーに履きこんでいたものだったのですが、どの靴にも同じようにソールに穴が空いてしまい、このところ履くことが出来なかったのです。それらのあわれなブーツたちを見るにつけ、修理担当の女性も苦笑を禁じえなかった感じで、私のほうも若干恥ずかしかったのですが、今回結構な大金を払うことで、彼らに生き返ってもらえればと思います。出来上がりまで2週間、非常に楽しみです。
ちなみに、その店からシアターNまで、ほんの2〜3分でした……なるほど、あっちからまわればよかったのか…まだまだ渋谷が地元とは言えなさそうです。

2006年12月01日

必見備忘録 2006.12月編

先月はフィルメックスもあったので、それなりの本数はこなせたものの、気づけば『16ブロック』や『チャーミング・ガール』、『映画監督って何だ!』等を取りこぼしており、やはり一介のサラリーマンとしては、映画祭と新作を並行して観ていくのは困難だという当たり前の事実を確認するほかありません。
めぼしい映画祭はこれで終わりましたが、やっぱり溝口にもストローブ=ユイレにも行けていないし、来週からはヌーヴェル・ヴァーグ特集も始まるわで、限られた時間でどの作品をセレクトするのかという問題は、日増しに大きくなっていくような気も。まぁそれだけ東京が恵まれた環境なのだということなのでしょう。観たい映画を観られているだけで幸せなので、とりあえずは自分の勘を信じることにします。


ホステル』(シアターN 上映中)
あいかわらずいい評判ばかりですね。チャンスはこの週末のみです。

HAZARD』(シアターN 上映中)
ああ、こちらもこの週末に観ないとダメか…上とハシゴ?

サラバンド』(ユーロスペース 上映中)
うわぁ、こちらもこの週末に観ないとダメか…

ありがとう』(渋谷TOEI1 上映中)
久々の万田監督作品。最初にタイトルを目にしたとき、山本直樹のアレかと思いました…。

アジアンタムブルー』(恵比寿ガーデンシネマ 上映中)
いや、タダ券をいただいたので…。

007 カジノ・ロワイヤル』(渋谷TOEI2 上映中)
エヴァ・グリーン目当て。

トンマッコルへようこそ』(Q-AXシネマ 12/2〜)
お○ぎの声がまだ脳内に残ってはいますが…。

イカとクジラ』(新宿武蔵野館 12/2〜)
かなり期待してます。ヌーヴェル・ヴァーグへの目配せが多い、とか。

硫黄島からの手紙』(渋谷ピカデリー 12/9〜)
言うまでもなく、期待。二宮某にも期待。中村某には、ちょっとだけ。

スキャナー・ダークリー』(シネセゾン渋谷 12/9〜)
キアヌ先生は、アニメでも表情が乏しくて良い。今のところはずれなしのリンクレイターですが、如何に?

人生は、奇跡の詩』(シャンテ シネ 12/9〜)
ああ、またあの手の感動作か…といいつつ、シャンテじゃ無かったらすぐにでも観にいってしまいそうな作品。シャンテだけに、行くかどうかは不明。

没後50年 溝口健二再発見」(上映中 フィルムセンター大ホール)
うーむ、未だに行けていないのは、ひとえに京橋という場所柄かも。どうしても近いほう(渋谷)を選んでしまうという私の怠惰さ。言わずもがなの貴重な機会なのに、やっぱり怠惰って恐ろしい。

ヌーヴェルヴァーグはもうすぐ50歳になる」(12/9〜 シネマヴェーラ渋谷)
ロメールとシャブロルだけに標準を搾って。あ、『幸福』も!

没後20年タルコフスキー特集+セルゲイ・パラジャーノフ作品」(上映中 吉祥寺バウスシアター)
パラジャーノフに行ければ幸い。

フィリップ・ガレル、現代映画の秘密の子供」(12/9 12/16 12/17 で『泣く女』『処女の寝台』『救助の接吻』を)
流石にこれを逃すと友人の前で頭が上がらなくなりそうなので。

ジャック・ベッケル生誕百年記念国際シンポジウム」(12/22 アテネフランセ文化センター)
このシンポジウムと会社の通常業務とのどちらをとるか。答えは火を見るより明らかです。