2008年06月30日

エドワード・ヤンの一周忌と「天国への階段」

昨日は、池ノ上にあるシネマボカンで『枯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を鑑賞。
映画朋友のバーチーさんが、エドワード・ヤンのちょうど一周忌を選んで、自ら会場を借り、有志を募って催したイベントです。VHSでの上映。
チェン・チェンによる鮮烈極まりない平手打ち、懐中電灯の光が画面にテンションを漲らせる襲撃シーン、そしてその懐中電灯が撮影所にポツンと残されるさりげなくも強固なショット…
やはり傑作だ、としか言えません。
このようなイベントを催してくれたバーチーさんに感謝。

さて話は変わりますが、ここ数日間、「天国への階段」が頭から離れません。
より正確に言うと、1977年のシアトル・キングドームで演奏された「天国への階段」のギターソロのフレーズが頭から離れないのです。嘗てはいろいろなブート版を聞いていたので、もしかしたら初めて聞いたわけではなかったのかもしれませんが、これまで一番好きだった1973年のマジソン・スクエア・ガーデンのテイクより上だと今なら断言出来そうです。ジミー・ペイジだけでなく、彼のインプロゼーションに同じくインプロで合わせていくジョン・ボーナムもジョン・ポール・ジョーンズも素晴らしい。神がかっているとは、こういう演奏を言うのかもしれないとすら思います。

このブート版映像を発見したのはニコニコ動画。観ているユーザーの、やや大げさだけれど嘗ての自分を思い出させずにはいられないコメントの数々も微笑ましいので、興味がある方は是非コメントを表示させて観てください。

2008年06月26日

「…メルヴィル」と一言つぶやいたフランス人

たまには映画以外のことを。

つい先日のことになりますが、ある友人が海外へと旅立ってしまうということで、軽い送別パーティのようなものがあり、表参道にあるBVLGARI IL CAFEまで行ってきました。

初めて行ったBVLGARI IL CAFEは、かなり天井が高い上にガラス張りで、おまけにテラス席まであって悪くない雰囲気。そういう場所では、とりあえずワインをガブガブ飲むという風に決めているので、いい感じに酔っ払ったのです。

その会には、ある外資系コンサル企業で働く、日本語ペラペラのフレンチガイが参加していました。彼と会うのは二回目でしたが、まともに話したのはその時が始めて。

タバコを吸いながら軽く話を聞いてみると、どうやら彼は映画好きらしい。であるなら、とりあえず好きな監督を聞いて相手の出方を見ようという、いかにもいやらしい大人を演じてみたわけですが、その質問に彼は、一瞬間をおきながらも「…メルヴィル」とつぶやいたのです。

彼にはまだ、自分も映画が好きだ、ということしか伝えておらず、こちらの好みの方向性などもまったく説明していなかったのです。にもかかわらず、彼の口からは、特にシネフィルを気取った感じもなく、ごく自然にメルヴィルという名前が出てきました。このパターンは、日本人には無かったなと思い、不覚にもちょっとうろたえてしまいました。彼は、あらかじめ程よい距離をとろうとはしなかった。そのすがすがしいまでの率直さは、感動的ですらあったほどです。

まぁそうなってくるとこちらは、年上の自分がうろたえてしまったことを隠蔽するかのごとく、メルヴィルに関係のありそうな映画作家の名前をつらつらと並べたりするほかなかったのですが、すかさず彼は「でもヌーヴェルヴァーグの作家はあまり好きじゃないかなぁ」とこれまた意外な発言を繰り出すので、これはもう喫煙タイムに立ち話でするような話題を超えているぞと思い、とりあえず今度ゆっくり話そうという言葉を後に、随分年下の彼への敗北に似た感情を味わいながら、また自分の席に戻っていったのでした。

ちなみに、彼が使っていた携帯は、あのPRADA携帯。実は、私も買おうかどうか迷った携帯でした。
とにかく、私の周りにはいない“ニュータイプ”の友人が出来たことを、今は素直に喜んでいます。

2008年06月24日

『リボルバー』にはむしろ気持ちよく騙されたかった

2005年/イギリス・フランス/115分/ガイ・リッチー

久しく名前を聞いていなかったと思ったら、ガイ・リッチー監督作品が日本公開されたのは、『スウェプト・アウェイ』以来5年ぶりでした。デビュー作から立て続けにヒットを飛ばしたガイ・リッチーですが、何故だか『スウェプト・アウェイ』だけはまったく観る気がしませんでした。マドンナは映画的にどうなんだとか、今さらリナ・ウェルトミューラーもないだろうとか、そんなことを思ったかどうかすら覚えていません。ただただ、黙殺していたのかも。

ガイ・リッチーに対しては、MTV以降の映像で群像劇を撮る現代的な監督、というイメージを抱いていており、評価していたかどうかと聞かれると、まぁオシャレだよね、というようなスタンスだったような気がします。私自身、嘗てはMTV的監督に対する齟齬感もありましたが(今でもないわけではありません)、にもかかわらず周りに熱狂している人がいたりして、もう一つ釈然としない感じがしていたのかも。今となってはタイトルバック以外ほとんど記憶にないので、やはりその程度だったのかもしれません。
(とここまで書いて、この感覚が、最近観た『アフタースクール』にも通じていたことに気づきました)

面白い画面を造形する監督だとは思いますし、本作においても、それは健在でした。それだけで終わっていれば、まだ良かったのです。
レイ・リオッタは相変わらず素晴らしかったと言えるし、ジェイスン・ステイサムも悪くない。殺し屋の風貌や動きもそれなりに楽しめました。がしかし、主人公が自らの精神世界へと埋没していく後半の失速振りには、ただ閉口するほかありませんでした。別に今さら『ユージュアル・サスペクト』のようなことをしろとは思いませんが、見えもしない人間の内面を描こうとして迷走するくらいなら、いっそ、図々しく開き直ってクライム“どんでん返し系”アクションに徹すればよかったのではないか、という思いをどうしても払拭出来なかったのです。ガイ・リッチーは、本作の脚本に3年を費やしたといいます。考えて考えて考えるうちに、面白さとの距離感を見誤ったとしか思えません。キャストが悪くなかっただけに、残念でした。

ところで、本作のプロデュースはリュック・ベッソンです。『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』にポンと金を出す彼の姿勢は、今思えばまったくもって素晴らしかったと思いますが、出資した映画の中身に、果たしてどれほどの関心があるのでしょうか。まったくわかりません。

2008年06月20日

『ばけもの模様』に新たな才能の萌芽を感じる

2006年/日本/93分/石井裕也

私にとって、新しい映画作家を自分の目で発見する喜びは、ことのほか大きいものです。
すでに起こってしまった奇跡を後追いで確認することも、確かに映画好きの楽しみの一つではあるし、実際、今現在私が偏愛している作家たちのほとんどは、そのようにしてしか発見出来なかったのですが、この目で同時代に生きる新たな才能を発見する瞬間というのは、それとはまた違った喜びがあるような気がします。私が今なお、映画学校や大学に通う若い人々の作品を観るようにしているのも、恐らくはそれがあるからだと言い切ってしまえるでしょう。

さて、少し前になりますが、池袋・シネマロサで「CO2 in Tokyo」という上映会に参加してきました。「CO2」は、関西発の若きシネアストたちの登竜門的プロジェクトとして、今では東京でも一部の映画好きに随分と認知されてきたようです。最近では『ジャーマン+雨』がここから出て劇場公開され、多くの注目を集めるに至りました。
私が今回の「CO2 in Tokyo」で観た作品はたった2本だけでしたが、この時に観た内の一本が、石井裕也監督の『グレートブリテン』という作品だったのです。このたった10分しかない、馬鹿馬鹿しさとふてぶてしさと、何より若さに溢れた作品を観て、石井裕也にかなり大きな期待を抱くようになりました。
そもそも、最初の作品『剥き出しにっぽん』が、大阪芸大の「第24回そつせい祭」でグランプリをとり、続いて「第29回ぴあフィルムフェスティバル」でもグランプリをとったということで、その名前には注目していたものの、それはあくまで実体を伴わない期待というものでした。それが『グレートブリテン』によって、ひとまず、実体を伴ったということです。

そして先日、長編4作目にあたる『ばけもの模様』を鑑賞。どうせ同時代の監督であれば、せめて第一作目から順に観たかったのですが、なかなか折り合いがつかず、このような形に。主演に大鳥れい、脇に桂都んぼ、潮見諭、稲川実代子らで固めた本作ですが、恐らくそれなりに有名だったであろう彼らに対する知識が皆無だった私にしてみれば無名の俳優に等しいわけで、その点ではいかなる期待も抱きはしませんでした。

この映画、ところどころで、ほとんど悪ノリともとれるほど羽目を外しているのですが、結構真面目な映画です。ほどほどにプロっぽい演技も観られ(当然といえば当然ですが)、結末も悪くない。実を言うと、鑑賞直後は、かなりヤバイ才能が出てきたと孤独に狂喜乱舞しつつ池袋をスキップしながら歩いたのですが、今は少し落ち着いていて、石井監督に対する評価は、たとえdvdででも全部観てからにしようと心に決めました。ただし、これは今でも言えることですが、こんな映画を20代前半で作ったということは、やはり驚くべきことだなぁ、と。

とりあえず、次回作以降の上映機会は逃せない監督です。

2008年06月11日

『コロッサル・ユース』に言葉を奪われて

Colossal Youth/2006年/ポルトガル・フランス・スイス/155分/ペドロ・コスタ

ペドロ・コスタの新作『コロッサル・ユース』は、これまで以上に私の言葉を奪う映画でした。
恐らく、『コロッサル・ユース』を前に、「いやぁ〜面白かったな〜」などという言葉を発することの出来る人は皆無ではないか、とすら思います。もちろん、そのように言う権利は残されているし、その逆もまたしかりではあるのですが、私に関して言うなら、どうもそういった反応が出来ないでおります。

ペドロ・コスタの映画は、観客に対して、“厳しさ”を強いるタイプの映画だと、あくまで漠然と思ってきましたが、反面、今目の前でのっぴきならないことが起こっているという事件性だったり、観るものの感性を激しく揺さぶるような画面の凶暴性だったり、あるいは、観ること/観られることを考えさせずにはおかない批評性といったものが映画自体に横溢していて、それはつまり、『コロッサル・ユース』がこの上なく豊かな映画というふうにも結論できてしまうのです。

恐らく私には、本作を“理解”出来てなどいないでしょう。
しかし、少しずつ形を変えながら、主人公・ヴェントゥーラの口から幾度も読み上げられる手紙の文面(加えて、それを読むヴェントゥーラ自身の声)に対し、自分でも驚くほど感動しました。
次元が歪んだかのように遠近感がデフォルメされた美術館における照明と足音にも、そして、獰猛な獣が牙を剥いたかなような影にも。

そう、ペドロ・コスタはついに、影を我が物にしてしまったような気がします。影と光は表裏一体。つまりペドロ・コスタは、他でもない「映画」を我が物にしてしまったのではないか、ということに気づきました。いささか大袈裟ですが、そんなことを思わせる作家が、今、世界に何人いるでしょうか。

2008年06月06日

『ブレス』におけるキム・ギドクの怪しさ

BREATH/2007年/韓国/84分/キム・ギドク

キム・ギドク第14作目の本作を観て驚いたのは、少し前に観た万田邦敏監督の傑作『接吻』とあまりに似た映画だったからです。共にオリジナルな物語であるにもかかわらず、これほどまでにシンクロしてしまうことがあるのだろうか、と。
もちろん、この2作品それぞれの主題は異なっている、ということを了解した上でもなお、やはり、その恐るべきシンクロニシティに驚嘆するほかありません。

ただし、そのことでキム・ギドクの独自性が損なわれたとは思いません。
本作で彼が描いたこと、例えば、殺風景な面会室を色鮮やかな四季で彩り、あろうことか、感動的なミュージカルの舞台にしてしまったこと。あるいは、反復させることによって行為そのものの意味を宙吊りにしてしまうような演出。そして、キム・ギドク自らが監視役を演じ、それによって、作品をより重層化させていること。これらの場面を観るにつけ、やはりキム・ギドクだなと思わせもするのです。

本作では、ラブシーンも印象的でした。『ブレス』が本当に極限の愛を描いた映画なのかどうかは今もってわかりませんが、異常な状況下で交わされる接吻やセックスが、妙に動物的で生々しく、何より残酷だったのです。彼らの行為を完全に掌握しているのは、監督としての、あるいは監視役の俳優としてのキム・ギドクです。そして彼は、ここでも観客に冷たい何かを突きつけたまま、たった84分で映画を終わらせてしまうのですから、相変わらずやっかいな監督であるということだけは間違いないと言えるでしょう。今回のキム・ギドクは、いつにも増して怪しすぎる…

『接吻』と比べてしまうことは、やはり無意味なのかもしれません。

2008年06月04日

『軍鶏 -Shamo-』の嘘っぽさは悪くないが…

Shamo/2007年/日本・香港/105分/ソイ・チェン

後で知りましたが、ソイ・チェンは、『ドッグ・バイト・ドッグ』の監督だったらしいです。私は未見ですが、当時予告編を思い出す限りでは、『軍鶏 -Shamo-』と非常に似た画面だったような。主人公を、“戦闘的な”犬や鶏に喩えているあたりも。

軍鶏といえば闘鶏。闘鶏と聞いてすぐさま思い出されるのが傑作『コックファイター』ですが、本作では、あくまで比喩として軍鶏という言葉が使われただけで、実際の闘鶏場面は出てこず、戦うことにとり憑かれたような人間同士がひたすら殴りあうばかりです。まぁ、現代においてモンテ・ヘルマンを模倣するというのは反時代的とも考えられますし、常識的に考えれば、実際の軍鶏を画面に登場させたところで、映画としての体をなすかどうかは甚だ疑問ですが。

ところで、幸か不幸か、ソイ・チェンは“香港の三池崇史”などと言われているようですが、単に題材や描写の類似性からそう呼ばれているのだとすれば、いささか安易だと言わざるを得ません。ジャンルなどほとんど意に介していないかのごとく、年3本くらい涼しい顔で撮りあげてやるぞ、というプロフェッショナルな姿勢こそ、三池崇史の作家性だと思われるからです。

まぁそんなことはさておき、この『軍鶏 -Shamo-』という映画、日本の漫画が原作だそうで、舞台は一応日本ということになっています。が、主人公はショーン・ユーという香港の俳優。『インファナル・アフェア』シリーズや、『頭文字D』『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』に出演していた、アクションもこなす優男風な俳優です。一方、彼の敵役となるのは日本人で、K-1ファイターの魔裟斗。彼は嘗て、三池崇史の『IZO』に出演したことがあるようですが、なるほど、ソイ・チェンが三池に比較されるのは、このあたりの大胆なキャスティングにも拠るのでしょう。

恐らく、物語はある程度まで原作に忠実だろうと思わせるのですが、そう思うのは、本作のほとんどのシーンがアクションシーンであり、だからでしょうか、物語にまるで奥行きが感じられなかったからなのです。つまり、大事なのはアクションであり、物語にオリジナルな変更要素を加えるなどということは二の次だったのではないか、と思われ。

優等生的な高校生が、突如殺人犯となり、少年院では他の囚人に虐められ、おまけに親殺しということで院長(これは石橋凌が演じています)にも目をつけられるという日々を送っているが、そこに、嘗ては首相暗殺を企てたテロリストで空手の達人でもある男が現れ、彼が師匠となって主人公に空手を一から叩き込む。刑期を終えた主人公は、唯一の肉親である妹を探すうちに、世界格闘技トーナメント「リーサルファイト」の主催者と知り合い、空手の腕を買われてそのトーナメントに出場するが、チャンピオンである魔裟斗に何故か敵対心を燃やし、彼を倒すことだけに執着していく、という物語そのものが、いかにも漫画のいいとこ取りで底の浅さが露呈していました。ただし、そもそも香港映画に物語的な奥行きを求めてはいけないという持論がある私にとって、それは別段驚くに値しないことです。

アクションシーンですが、香港映画としては水準でしょう。後は、あの取ってつけたように出鱈目なそれぞれの舞台背景(セットやロケ地)を許容出来るのかというあたりが重要になってきますが、まず原作の重要な場面ありきというこの映画では、とても日本が舞台とは思えないような夜の街や雑居ビル、森などが登場し、それがさも当たり前のように画面を流れていきます。香港映画ばかりでなく、外国映画ではお決まりといっていい、いかにも嘘っぽいというか、本当らしくない日本の描き方は、映画として見た場合決して悪くなく、これが映画だということを要所要所で感じさせてくれます(外国から見た日本のイメージなどほとんど出鱈目だが、映画においてはそれで良いのだ、ということを、小学生の時に封切りで観た『大福星』が教えてくれました)。

また、空手の師匠であるフランシス・ンが、ほとんど場違いなまでにいい味を出していて、映画全体のクオリティを担保しているにもかかわらず、これも原作からなのか、ほとんど現実離れした、抽象空間としての森で自決するあたりの演出がどうにも残念なことに加え、ラストのショーン・ユー対魔裟斗の対決の決着のつけ方として、安易なCGに頼ってしまったあたりもまた残念と言えば残念だったと言わねばなりません。

まぁ個人的にこの手の映画は嫌いじゃないという前提があるのですが、“拾い物”というほどのレヴェルまでは達していませんでした。

2008年06月02日

超・必見備忘録 2008.6月編

5月は17本鑑賞。『大いなる陰謀』を見逃したことにいまさら気づいてしまいました…。
今月から来月にかけて、またもやスケジュール調整が困難を極めそうです。


コロッサル・ユース』(シアター・イメージフォーラム 上映中)
万全の体調で臨みたいと思います。

痛いほどきみが好きなのに』(新宿武蔵野館 上映中)
監督はイーサン・ホーク! 妙に期待させるのは何故でしょうか? ↓とセットで観るのが理想。

パリ、恋人たちの2日間』(新宿(恵比寿)ガーデンシネマ 上映中)
監督はジュリー・デルピー! 妙に期待させるのは何故でしょうか? ↑とセットで観るのが理想。 

剥き出しにっぽん』(シネマ・ロサ 上映中)
ばけもの模様』(シネマ・ロサ 6/7〜)
個人的に注目している若手監督・石井裕也監督。このためだけに池袋に行く価値はあると思います。

ザ・マジックアワー』(渋東シネタワー 6/7〜)
正直まだ観ようか迷っていますが、とりあえずエントリー。

リボルバー』(シネマライズ 6/7〜)
久しぶりのガイ・リッチー。また同じような映画なのかどうかは、観てのお楽しみ。

休暇』(新宿東亜興行チェーン 6/7〜)
門井肇監督、佐向大脚本、西島秀俊出演。新宿東亜でやるような映画なのかは疑問。

『裸 over8』DVD発売記念イベント」(UPLINK FACTORY 6/14・15)
前田弘二『恋の裸』だけを観られればいいのですが、恐らく他の作品も観るでしょう。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2008」(ドイツ文化会館ホール/アテネフランセ文化センター 6/14〜)
今月の悩みの種。全て観“ねばらない”のは言うまでもありませんが、さてどうしたものか…

吉田喜重レトロスペクティブ」(シネマヴェーラ渋谷 6/21〜)
ポンピドゥー・センターでの大規模なレトロスペクティブを終えての凱旋。存命中にこのような特集を組まれるとは…。未だ彼の作品を観たことの無いという幸福な方、この機会『秋津温泉』1本だけでも観てください。