2007年08月31日

今叫ぶなら、やはり、『デス・プルーフ』は素晴らしい!に尽きる

ずいぶん久々の更新かな、と思いきや、まぁ1週間ぶり。
映画のことを書いていないので、あるいは、そんな風に感じたのかもしれません。

憂鬱な日々というのは、いずれ出口に光明が見えるというオプティミスムでもって、意外とやり過ごせてきたのですが、いやはや、33歳にして、なかなか出口が見えないこともあるようで。

私の場合、やはり不器用なのでしょう。それでも何とか映画を観ているのは、ほとんど義務感というか、強迫観念がそうさせるから。映画を観ることで何とか生活の、というか陰と陽のバランスを保とうという防御本能のあらわれなのです。だってこんな日々においても、『デス・プルーフ』を観れば、その後数時間は憂鬱なコトも忘れてしまうんですから!! タランティーノ氏を、あの時ほど素晴らしいと思ったことがあったのか、いや、ないでしょう。

最近は、あまり本数を観られていないかわりに、いや、だからこそか、映画そのものを純粋に楽しめているのですが、いかんせん、ブログを書くほうに意識が向かず、なんとも歯がゆいばかり。まぁこれも後2週間程です。そう願いつつ……

明日は『シッコ』でも観にいくとします。
ただ、返す返す残念だったのが、『天国の門』を見逃したことです。嗚呼…。

2007年08月24日

夏がまた終わるので、つまらない文章を書きます

嗚呼…今年の夏は、なんという短さだったのか。
梅雨が長引いたということはある。仕事が忙しかったということもある。ただ、私はそんな理由を求めているわけではないのです。あくまでこの身に感じられたこととして、つまり実感として、今年の夏は短かった。

確か去年までは(などと書きたくもなるくらいです)、夏を理由にして、映画を観る本数が減ったのではなかったか。それはつまり、それだけ夏の重要性(希少性?非=日常性?)を肌で感じ、二度と戻らないその年の夏の幻影に何とか追いつこうとしていたのでしょう。

しかし今年の夏は…。
いや、問題は夏にあるのではありません。私自身にある。つまり、私に夏を謳歌する余裕がなかったということです。
海には幾度か行きました。回数で言うなら、むしろ去年以上に行ったのかもしれない。夏ならではの黒さを身につけもしました。おそらく、今年も昨年並みに、ということは、ほとんど極端なまでに黒くなったはずです(それは会社の人間の、ほとんど呆れ果てた指摘を待つまでもありません)。
それだのに、この空虚、というか、空白は何なのか?

嗚呼…夏が行ってしまう。
海が、異常な蒸し暑さが、焼け付く砂浜が、海の家の暑いシャワーが、大胆極まりない水着ギャルが、しとやかな水着娘が、40度のホットワインが、迷彩色のショートパンツが、夏の間しか存在価値がないような海沿いの飲み屋が、そして何より、何だか傲慢なエネルギーを放射し続けるあの太陽が、行ってしまう。

残された私は、ただ途方に暮れる。
なんとも悪いタイミングなことに、ブログを書く余裕もない。寝ても疲れが取れない。溜息が増える。自転車の空気は抜かれる。大家さんに「共有スペースで洗濯物を乾さないでください」という紙を張られる。大して映画も観られない。食欲が低下気味なのに、お腹を壊す。部屋の掃除も出来ない。飛び跳ねる蜘蛛を玄関先で見つける…
まったく、最悪じゃないか。

時間の問題です、これは。きっと時間が解決してくれるのです。でも、んなこといってたら、もう8月も終わるじゃねーか。母さん、八月も終はってしまひますよ。

さて、こんな時に最適な映画はあるのでしょうか?
こういうときは、思い切り阿呆な映画か、思い切り絶望的な映画がいい。しかし、生憎(?)、明日も明後日も映画以外の予定があったりして。夏の午後、夏の憂鬱、です。

嗚呼、なんという夏…。でも、なんだかんだ言いつつも、やっぱり良かったかもしれない…夏。
この夏最後の映画は、クエンティン・タランティーノとロバート・ロドリゲス、そして、ロバート・アルドリッチに任せるとします。頼むぞ!

2007年08月17日

飛光

この時期になると、時たま玄関のドアの向こう側から聞こえてくる、何とも不快な音に悩まされる。
ズバババババ、ポトン…ズバババババババ…コトン。ズバババババババズバババババババ……

どうやらまた、夏の風物詩たる蝉が、その最期を我が玄関先で迎えようとしているらしい。
何故、あの音だけで、それが蝉の最期だとわかるのかと言えば、ほとんどの場合、翌朝ドアを開けると、その亡骸(当たり前だけれど、まったく力なく裏返っている姿)が発見されるからで。しかし、それが本当に亡骸かどうかは、実は、足先でちょこんと蹴ってみなければわかりません。力なく裏返って、あ、こいつもう死んでるな、と油断させておきながらも、突如としてズビビビビビビビビィィィイとあの透明で幾何学的な模様が刻まれた羽をばたつかせることもしばしばだから。その時の私のビビり様と言ったら、そりゃあもう…。

しかしそれにつけても疑問なのは、あと一寸、最期の力を振り絞って飛べばほかにも鉄製のドアが3つはあるというのに、何でウチを選ぶのか…。インド風なお香に吸い寄せられてきたとでも? チョリソーのペペロンチーノ(にんにく多目)のいかにも食欲をそそる香りが、蝉の最期に相応しかったとか?

だいたい、私は蟲の類が大嫌いなのです。
別に理由なんて無いけれど、いや、無いことも無いけれど、つまりあれは美しくない。美しい蟲だっているじゃないか、ほら南米のナントカとかマダガスカルのカントカとか、と言われれば、美しい蟲だって俺にとっちゃ1mmも美しくはないんだよ、とでも答えるほかない。じゃあその美しさ、とやらは、例えば、アンドレイ・ズビャギンツェフが撮った海は美しいだとか、ジャック・ドゥミの草原は美しいだとか、そういうことに置き換えられるようなことか、と自問するわけですが、いや、それはどうだろう、だってアレハンドロ・ホドロフスキーがキメキメで撮っちゃいましたみたいな砂漠だってやっぱり美しかったんだろうし、ジャン=リュック・ゴダールが仰角で撮った高層マンションだってやっぱり美しかったんだから。つまり、それはどうも、ステキとかキレイとか、そういう類のモノとは違うのかもしれません。蟲の美しくなさは、じゃあ何?って。

まぁそんな話はまったくどうでも良くて、昨日の夜中の話。
ズババババ…コトン、という音が迷惑千万に鳴りつづけた昨夜、蟲に比されると途端にその人間としての強さをどこかに忘れ去ってしまう私は、極度の憂鬱と、極度の苛立ちになかなか寝付けず、というのは嘘で、案外すぅすぅと寝息をたてた次第ですが、やはり今朝になって、いざ早朝のスポーツジムに行かんとドアを開けるその瞬間はやっぱり緊張して、開けた瞬間、ズバッと最期の最期の生命の光を放ちつつ、私のプライヴェートな領域に闖入してくるんじゃないのか?という疑念が晴れず、思わずドアのこちら側から、外にいるであろう蟲=蝉の存在を確かめるべく、ガンとドアを蹴っ飛ばしてみたり。しかし、期待されたズバッという音は聞こえず仕舞。

蝉は、ただ本当に力尽きた様子で、ピョコっと裏返っていました。
しかしまだ俺は安心出来んよ、なぁ蝉よ、と、いつもどおり足先で小突いて確認。蝉は2cmほど蹴飛ばされたが動かず。もう一度足先でチョン。すると蝉は、ガスのメーターが設置された鉄製の細長いボックスの下にシュッとその姿を消した。
あ! これじゃあ、蝉の亡骸はこの先もずうっとこの場所に裏返っているということになる! しかしもう足先は狭くて入れられないし、いわんや、手をそこに入れるなんていう芸当は到底無理。

しかし、私ポジティフで投げやりな性質の私は、目につかないものは無かったことにする。その蝉が、生命の光を放つことはもう無いけれど、裏返った亡骸はおそらく、向こう数年間に渡ってその場に居つづける。あるいは、やさしい大家さんが超越的な力でその存在を見つけ、箒でもってであっさりと掃き捨ててしまう、か。

2007年08月16日

USAバージョン『グラインドハウス』限定公開

クエンティン・タランティーノとロバート・ロドリゲスの新作は、2本立てでなければ意味ナッティングなんじゃないか、と思っていたのは私だけではないはずで、そういった方にとっては嬉しいニュース。

USAバージョン『グラインドハウス』が8/24〜31まで、8日間の限定上映!

劇場はTOHOシネマズ 六本木ヒルズとTOHOシネマズ なんばの2館のみ。
来場者全員にスペシャルプレゼントあり。両作品ともR-15指定。 入場料金¥3,000均一。

内容はこんな感じ。

★U.S.A.バージョン『グラインドハウス』内容
1. フェイク予告編 「マチェーテ」
2. 『プラネット・テラー アメリカバージョン』
3. フェイク予告編 「ナチ親衛隊の狼女」
4. フェイク予告編 「Don't/ドント」
5. フェイク予告編 「感謝祭」
6. 『デス・プルーフ アメリカバージョン』
合計3時間11分

時間等はまだ公表されていないようですが、2本それぞれの独立したverには、追加撮影分が加わるらしいので、つまり、これらを堪能したい人は、3本観なければならないということに。
それもいいですが、とりあえず、USAバージョンを観てから決めます。

2007年08月14日

すべてをシンプルに

先週観た映画。

街のあかり
素晴らしい。
中盤以降、あまりに厳格で無駄のない画面作りに、脳裏にブレッソンという名前が浮かんでは消えた。『ラルジャン』とまではいかないが、78分という上映時間も申し分ない。ラストシーンのクローズアップは、まるで『スリ』じゃないか、と思ったら、パンフにそんなようなことが書いてあった。カウリスマキはこの方向を究めていくのだろうか。それを見定めるためにも、今後はずっと付き合っていくと決めた。

トランスフォーマー
予想を越えない出来だったが、十分楽しめた。
逃げ惑う主人公の姿に、『宇宙戦争』が重なってしまう。まさかトランスフォーマーが言葉を発するとは思っていなかったのだが、主人公を守るオートボッツが最後の最後まで言葉を発しなかったのはいい。5体のオートボッツのキャラクターの描き分けは、まるでアメリカ戦争映画のようにわかりやすく、悪く言えばやや稚拙過ぎるとも思った。随所に描かれたギャグ(とりわけ、主人公の自宅で姿を隠しているシーン)もまた幼すぎる。が、これらの不満など、実際どうでもいい。『トランスフォーマー』はそういう映画なのだから、言うだけ野暮だ。
CMや予告編でも観られたが、あの手の巨大なエイリアン(あるいはUFOでもいい)を初めて目にする男が、「一体なんだ、これは…」と目線を上げ絶句するというショット、ああいう決まりきった、ほとんどシナリオを書く前から存在しているんじゃなかろうか、と思われるショットが、実は楽しみだったりする。私はああいう部分にも、大いにアメリカ映画を感じた。
何気にジョン・ロビンソンやジョン・タトゥーロが出演していたが、そこに期待された彼らの姿(イメージ)は存在しなかった。それもまた、これが『トランスフォーマー』なんだから、言うだけ野暮。

2007年08月08日

余裕がないので

本来なら「はじめましてアルトマン」の文章を書き終えている予定でしたが、まったくそんな余裕がなく、途中で放り出したままです。アルトマン以外の映画のほうは、とりあえず大和屋竺の『愛欲の罠』とや廣末哲万(群青いろ)の新作『夕日向におちるこえ』などを観て、いろいろと感銘を受けはしたものの、やはり余裕がありません。

この状態がいつまで続くのか、私にもわからないのですから多分誰にもわからないのでしょうが、映画を観るにもそれなりの余裕が必要であるのは言うまでも無くて、何とか最低ラインを保ちたいとは思っていますが、それよりも今は、海にでも行って癒された方がいいかもしれません。

さて、そんな次第なので、今日はいくつかの気になったニュースを。

8/11(土)に『緑茶』(張元監督)が上映
文京シビックホールにて、18:55〜。会員1200円、非会員1600円。
趙薇主演の中国映画です。撮影はクリストファー・ドイル。趙薇というのはヴィッキー・チャオのことです。彼女は今、北京電影学院の大学院で監督学を学んでいるそう。K'S CINEMAでの特集上映でも組まれていました。

好評につき『愛欲の罠』追加上映!!!
8月14日(火)〜9月2日(日)
これまでと同じく、毎週土曜日は18:20よりゲストを招いたトークイベントを開催するようです。見逃している方は是非に。スケジュール等は一角座まで

あなたの選んだ映画が東京国際映画祭の上映プログラムに!!新企画「映画が見た東京」
私には関係ないニュースですが、例えばここに『東京暗黒街竹の家』の票がものすごい勢いで集まりはしないだろうか、という期待を込めて。尚、公式ページにはまだ情報が掲載されていないようです。

ざっとそんなところです。気になる方はチェックしてみてください。