2008年02月18日
尻に火がついてから動き出す性格です
生活の中で、このブログに対する意識が日に日に薄れつつあるのですが、それは単に時間が足りないからというよりも、自分の中の“アウトプット欲求”みたいなものが、嘗てよりも低くなってきていることにその原因があるような、そんな気がしている今日この頃です。
時間がない割りに、何とか映画は観られているのですが、この最後の砦までも崩されてしまうと、そもそも脆い私の生活における文化的な基盤が華麗に瓦解してしまう危険性があるから。その危機意識だけは、かような状況でも常にキープしておかねばならないな、と。
さて、一応映画ブログの体裁をとっている当ブログなので、なるべくなら映画に関することだけを書いていきたいのに、どうもそういう気分になれません。というのも、最近は寝ても醒めてもウイニングイレブンのことばかり考えているんじゃなかろうか、と思われるほどに、ウイイレの選手育成に追われているからです。追われているというのは別に比喩ではなく、10月の大会に向けて、後7ヶ月強で1200試合以上こなしていかないと育成が間に合わないのです。余暇を映画と酒に費やしてきた私に、果たして毎日5〜6試合というノルマを消化出来るのか否か。いや、実際はなんとしても消化せねばならず、その上で技術的上達も課せられているのですから、そのプレッシャーたるや、並大抵ではありません。端的に言って、私はあまりにも安易に捉えていたということです。今になって、それがひしひしと感じられてきた次第です。
というわけで、2月ももう半分以上が経過し、映画のほうは9本ほど観ていますが、とりあえず現状のウイイレ地獄に一応の目処がつくまでは、映画に関する文章も書けそうにありません。取り急ぎ、最近観た映画で素晴らしかったのは、ジャン・ルノワール諸作品を筆頭に何本か挙げられます。そうかと思えば、正確には昨年公開された作品なのですが、早くも今年のワーストに位置づけるべき作品もあり、映画も相変わらずいろいろだな、と。
備忘録的に観た作品を書いておきます。
■国道20号線
映画における“リアル”という概念をどのように捉えるか、そんなことを考えました。なかなか凄い作品かもしれません。次回作が楽しみです。
■肉
あまりに簡潔なタイトルと、あまりに簡潔な内容だけれど、なぜだかエキサイティングな観察映画。
■ゲームの規則
傑作という以外にありません。
■フレンチカンカン
傑作。ラストのダンスシーンで全身が震えました。
■大いなる幻影
今回の上映は113分とありましたが、これは完全版ではなかったのでしょうか。だとするなら、いったいどのシーンがなかったのか。などと勘ぐる事も可能ですが、そんなことはもうどうでもいいや、と思わせる傑作。もちろん、ギャバンもいいけれど、ピエール・フレネーとシュトロハイムがからむシークエンスがなんとも素晴らしく、感動。ジャン・ルノワールに関して、やはり私には書くべき言葉など見つかりません。
■ウィッカーマン
あんまりといえばあんまりな作品。傑作でも何でもなかったけれど、妙な形で持ち上げられてしまった感がぬぐえない元祖『ウィッカーマン』は、このリメイクと比べれば相当立派な映画だったんじゃないか、と思われ…。
■ダイハード4.0
すでに観ていたので、特にありません。
■潜水服は蝶の夢を見る
かなりの力作であることは間違いないかと。画面の可能性を感じさせてくれました。さすがヤヌス・カミンスキーといったところ。
■素晴らしき放浪者
やっとスクリーンで観られた幸福が何にも勝るのですが、この単純さ、自由さに到達できるのは、やはりごく一部のシネアストだけなのかもしれない、などと思います。
追記:
そういえば、珍しく何本かのdvdを観たのでした。一応書いておきます。
■キサラギ
『運命じゃない人』を観た後では、特に新しさは感じられなかったのですが、香川照之は相変わらずいい。
■イタリア的、恋愛マニュアル
ひとえに、ジャスミン・トリンカ目当てで。彼女の美しさがいよいよ開花してきた感じがしました。好みの女優、暫定1位に決定。
■火事だよ!カワイコちゃん
ミロシュ・フォルマン監督、亡命前の喜劇。ドタバタ系です。個人的には好みでした。これがあって、『パパ、ずれてるゥ!』がない新橋TSUTAYAのセレクトに疑問。
2008年02月05日
Porto/'Non'/wank man off/ゴリラ女
■『わが幼少時代のポルト』(Porto da Minha Infância/2001年/フランス=ポルトガル/61分/マノエル・ド・オリヴェイラ)
ある廃墟のスチールにオリヴェイラのナレーションや女性の歌がボイスオーバーされる。その廃墟は、どうやら監督の生家だったらしい。なるほどオリヴェイラは、すでに変わりつつある故郷ポルトの記憶を、映画監督としての生命が尽きる前にフィルムに刻もうとしたのかもしれません。思い出のスケッチのような映画、とも言えそうです。
ただ、本作はただ自分のためだけのスケッチではなく、やはり映画なのだ、ということだけは強調しておきたいところ。その証拠に、オリヴェイラは、あくまで大胆に、自由に、幼少時代を“創造”しているのです。
何度か繰り返される女性の歌。挿入される古いフィルム。登場人物とナレーションの“時空を越えた”掛け合い。ほんの数シーン登場するレオノール・シルヴェイラの、残酷なまでの美しさ…。その全てが、この映画を、安易なノスタルジーから開放しているようでした。
■『ノン、あるいは支配の虚しい栄光』('Non', ou A Vã Glória de Mandar/1990年/ポルトガル=スペイン=フランス/110分/マノエル・ド・オリヴェイラ)
ある大木を捕らえた長い長いショットで始まる本作は、オリヴェイラ流の“歴史の授業”といった印象。私には、ポルトガルの支配の歴史に対する造詣などかけらもありませんし、また、興味もないと言い切ってしまえそうですが、にもかかわらず本作が私を魅了したのは、まず、前半トラックの荷台で会話する兵士たちの視線と語り方、そしてそれらを時に真正面から捉えようとするカメラの位置に感動したからです。イマジナリーラインはことごとく無視され、一体彼らが誰と会話しているのかすらわからなくなり、かと思うと、これは我々観客に向けられているのではないかと思わせる強固な視線から目を背けられなくなるといった按配で、呆気に取られるというほかないのです。語られる内容に興味が示せなくても、オリヴェイラという人はなんと自由に映画を撮るのかと思うと、やはり感動せずにはいられませんでした。
後半の劇的な展開もまた忘れられません。兵士たちが原住民の奇襲に合う瞬間の、あの大きな爆発と、銃から出る火花。負傷した原住民の、悲痛な、しかしあまりに場違いな叫び声。それは、ジャンルとしての戦争映画を模倣しているかのようでしたが、それらとは決定的に異なる何かがある。いや、何かが無かったのかもしれません。
オリヴェイラは、歴史上の合戦シーンを描くとき、何を参照したのでしょう。いくつか絵画的なショットが見られたのが印象的。ああいったシーンを“本気だ”と思わせてしまうあたりが、オリヴェイラの凄さなのだと思うのですが、上手く説明できません。
■『やわらかい手』(Irina Palm/2007年/イギリス=フランス=ベルギー=ドイツ=ルクセンブルグ/103分/サム・ガルバルスキ)
まったく乗れなかったわけではありませんが、特筆すべき点もまた見当たりません。ただ一つ、“wank off”という言い回しを覚えられたのは収穫。もちろん、行為そのものは見えないわけですが、ピンク映画的な構図(画面手前に排された小道具により局部を隠すこと)とリアルな音が、それを想像させるに充分だったとは思います。
■『ジャーマン+雨』(2006年/日本/71分/横浜聡子)
途中まで文章を書いて、とりあえずもう一回観ようかな、と「MovieWalker」をチェックしたら、今週いっぱいで終了のようで。
参ったなぁ、参った……監督は29歳かぁ………主演の野嵜好美は25歳…山下敦弘監督の『道』は観てないじゃん……ヤバいねこれは…あまりに堂々としている……トラウマを告白させるシーンの真正面……「先生〜」という子供の声…マンホールに飛び込む時の引きの絵……土手で熱唱される歌に漂うエモーション……‥‥‥・・・・・・・・・・・
まるで体をなしていませんが、今つぶやけるのはそんなところです。何かが完成しているとか、壊れているとかそういう類の映画ではないようにも‥。しかし、何だか決定的な何かが潜んでいそうな感じが‥。賞賛と嫉妬とが入り混じった複雑な気持ちです。
最後に、本作に惚れ込んで大阪からわざわざチケットをお送りいただいた朋友・イカ監督に、あらためて感謝の念を捧げたいと思います。ありがとうございました!